
日本に三つしかないという国宝指定、曜変天目茶碗を目当てに行ってきました
曜変天目茶碗とは中国福建省で宋の時代につくられたという茶碗で
黒色に青い光のような模様がちりばめられている、
未だ製造方法は不明という不思議な器です
まるで夜空の星か宇宙を表している、といわれる茶碗ですが
壮大なイメージで捉えていたからかもしれないのですが
実物を見た時の感想は思っていたよりも小さい、と思いました
また、同時開催で書道家・中塚翠涛さんの作品も所属品と併せて展示されていて
美術品に文字が添えられているのですが書体と墨の色が合わさることで
重厚感が更に高められていました
藤田美術館は初めて来館したのですが
展示会場入口は重さ何トンあろうかと思うような
黒く大きな分厚い扉が入口になっていたのですが
美術館ではとても珍しいその扉の謎は
展示会場を出た後に知ることになりました
鑑賞中は扉のことはすっかり忘れていていざ退出すると
入口にあった扉が出口左右にも出現!
「これは一体どうゆう建物なんだろう」と
付近にある略歴を読んでみると
収蔵していた蔵を美術館にしたのだそうで
謎だった黒い扉は蔵の扉だったことがわかりました
知りたい欲求強めな私はそこでまた疑問に思いました
ここらへんは空襲がもの凄く酷かったはずだけど
当時、所蔵していた美術品はどこにあったのだろう?と略歴を読み進めると
なんと、所蔵品は当時、蔵に収められていたとのことでした
あの凄まじい空襲に遭っても美術品は無事だったのです
大阪・京橋には近くに軍事施設があったそうで
なぜそのことを知っているのかというと
「ものすごい空襲だった」と親しくしていたご年配の
ご近所さんに教えてもらっていたからでした
空襲の日付は1945年、8月14日だったそうです
藤田美術館は実業家、藤田傳三郎氏とご子息によって築かれたとのことで
美術品が海外に流出することや国内外で荒々しく扱われることに危機感を覚えて
藤田傳三郎氏は美術品を収集しよう、と決意なさったとのことでした
国宝級の美術品を個人で所有するには相当な覚悟があったと思います
収集、保存の大変さのみならず
あの大空襲に打ち勝てたのは運も大きいのかもしれませんが
何よりも美術品が好きで好きで仕方がなかったという
藤田傳三郎氏とご子息の方々の気概の賜物だと思いました
強固な黒い扉にもその意志が表れている気がして胸が熱くなりました